語学留学というより「異文化に慣れる練習」
オーストラリア移住を決めてから、
「その前に何か一段階、踏んでおいたほうがいい気がする」
と、ずっと思っていました。
そして5月後半、
ほぼ思いつきに近い形で、
2週間後にはフィリピン・セブにいました。
子供2人と父だけ。
母は日本で留守番+仕事。
1学期の途中でしたが、
半ば強引に学校を抜けての語学留学でした。
ワンルームホテルで、父+子供2人の1ヶ月生活
セブでは、
ITパーク近くの語学学校に通い、
そこから徒歩10分ほどのホテルを借りました。
ワンルーム。
父と子供2人での1ヶ月生活。
事前情報通り、
インフラはなかなかハードでした。
- 道路は5秒に1回クラクション
- 歩行者の50cm横を車が通る
- 野良犬が普通にいる
- 水道水で歯磨きはNG
ITパークは近代的なのに、
一歩外に出ると別世界。
無舗装の道路、
汚水、
物乞いの人たち、
信号なんてあってないような交差点。
正直、
なかなかスリルがありました。
子供の順応力が、想像以上だった
親の私は、
時間がやたら長く感じていました。
でも、
子供たちは違いました。
最初は
「一緒についてきて」
と言っていた臆病な次男も、
語学学校初日のうちに普通に馴染んでいました。
言葉がうまく話せなくても、
なんとかなる。
その瞬間を、
はっきり目撃しました。
語学学校の外で起きていたこと
週末には、
- 語学留学に来ていた大学生とバドミントン
- アイランドホッピングで新しい友達
言葉が通じなくても、
遊べるし、仲良くなれる。
この経験は、
英語力以上に価値があったと思っています。
性格の違いが、はっきり見えた
長男は、
誰とでもすぐ仲良くなるタイプ。
自分からガンガン行く。
一方、次男は内弁慶。
家ではうるさいけど、
外では親の影に隠れるタイプ。
正直、
少し心配していました。
でもセブでは、
次男の意外な自立した一面が見えました。
吸収も早かった。
……3ヶ月後には、
単語はほぼ忘れてましたが(笑)
それに対して激怒する私。
冷静に考えると、
毎日使わなきゃ忘れるに決まってるんですが。
最後は全員ダウン → インフルで帰国
語学留学の最後の週、
- 次男が体調を崩し
- 次に長男
- 最後に私
体調最悪の状態で帰国。
帰国後に病院へ行ったら、
まさかのインフルエンザ。
今思うと、
検疫で止められてもおかしくない事案でした。
無事に帰国できてよかったです。
(そういう話じゃない気もしますが)
帰国後のオンライン英会話は、正直微妙だった
帰国後も、
毎日30分オンライン英会話を続けていました。
でも、
正直に言うと、
やらされている感がすごかった。
意味あるのかな、と感じ始めて、
11月いっぱいでやめました。
たぶんこれは、
現地で生活しないと身につかない。
今はそう思っています。
セブには、もう行かないと思う
経験としては、
本当に良かったと思っています。
ただし、
もうセブには行きたくない。
- 食べたいものがあまりない
- 汚い
- 人が大雑把すぎる
海外に行きたいと言いながら、
自分がとことん日本人だということに気づきました。
むしろ、
子供たちのほうが
異文化への許容が広い。
小さいころにこの経験をしていたら、
たぶん、どこに行っても何とかなる。
語学留学ではなく、「土台づくり」
結局、
このセブ語学留学で一番良かったのは、
英語を覚えたことではなく、 異文化に対する耐性ができたこと
だと思っています。
オーストラリアに行く前に、
この1ヶ月があったのは、
かなり大きかった。
移住前の「助走」として、
ちょうどいい経験でした。
これからが、
むしろ本番。
今は、
それを少し楽しみにしています。
関連記事
このセブでの1ヶ月は、
オーストラリア移住に向けた
「後戻りしないための区切り」でもありました。
移住を決めた背景については、
こちらの記事にまとめています。
→ [なぜオーストラリア移住を決めたのか]
また、このあと直面する
学生VISA前提の生活については、
こちらの記事で整理しています。
→ [子連れでオーストラリア学生VISAを選んで気づいた、生活面の現実]
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この記事を書いた人:父