正直に言うと、計画的な判断ではなかった
「なぜオーストラリア移住を決めたのか?」
聞かれることは多いですが、
正直に答えると、明確な正解や最初からの計画があったわけではありません。
振り返ると、
いくつもの出来事と判断が重なり合って、
気づいたらオーストラリアに向かって動いていました。
この記事では、
決断する側だった父の視点で、
なぜオーストラリア移住を決めることになったのかをまとめます。
きっかけは、上司の一言だった
ちょうど一年前、
飲みの席で上司に言われた一言があります。
「40になる前に、やりたいことやらないと後悔するよ」
たぶん、深い意味はなかったと思います。
でも私は、それをやけに真に受けました。
2024年12月。
この一言が、すべての始まりでした。
中学受験と「勉強させる父」に限界を感じていた
当時、長男は小学5年生。
中学受験に向けて勉強漬けの日々でした。
気づけば家の中は、
「勉強させる父 vs 子供」
という構図になっていました。
この状態を続けていいのか、
自分が正しいのか分からなくなっていたのも事実です。
そんな中で、勢いで口にしました。
「受験やめて、海外行こうか」
2025年1月のことです。
マレーシアで現実を突きつけられる
その1ヶ月後、
勢いのままマレーシアの学校見学に行きました。
暑さで子供たちは体調を崩し、
嘔吐し、倒れ、
「海外移住以前の問題では?」と思う場面もありました。
この時点で、
「やっぱり無理なのでは」という気持ちが強くなりました。
(2025年2月)
計画もないまま、仕事を辞めると伝えた
それでも、なぜか立ち止まれませんでした。
具体的な移住計画も、
収入の見通しもないまま、
上司に「仕事を辞めます」と伝えました。
2025年3月下旬のことです。
今振り返ると、
かなり無謀な判断だったと思います。
カナダを諦め、消去法でオーストラリアへ
当初はカナダを考えていました。
ただ、
仕事もなく、家族で移住するのは
「さすがにリスクが高すぎる」と周囲に言われ、冷静になりました。
そこで考えたのが、
家族が分断される前提の移住です。
- 母と子供2人は海外
- 父は日本で仕事を続ける
この形なら、現実的かもしれない。
その前提で、
フルリモート前提の仕事に転職しました。
時差の関係で、行き先はオーストラリア。
正直に言うと、
オーストラリアに特別な思い入れはありませんでした。
行ったこともありませんでしたし、、、
(2025年5月)
そして、フィリピン・セブで1ヶ月の語学留学へ
オーストラリア移住を具体的に考え始めた2025年6月、
勢いだけではありましたが、
子供2人+父でフィリピン・セブへ1ヶ月の語学留学にも行きました。
理由はシンプルで、
「英語を話せる環境に、短期間でも浸かってみたい」
という感覚でした。
1ヶ月という短い期間とはいえ、
・朝から英語漬けの日々
・英語でコミュニケーションする緊張
を体験したことは、
このあと続く海外移住の道のりに、
もう後には戻れない決意を刻んだ瞬間でもありました。
もちろん、
語学力そのものが劇的に伸びたわけではありません。
ただ、「英語で生活するという現実」を
この1ヶ月で肌身に感じたことで、
日本でなんとなく考えていた “いつかやろう感” が
完全に消えました。
このセブでの1ヶ月が、
その後の判断と動きに、
本当に大きな影響を与えたと、今でも思っています。
学校探しと、アデレード一択になるまで
そこから、子供の学校探しが始まりました。
物価が高いという話ばかりの中で、
「まだマシ」という口コミを信じ、
行き先はアデレード一択に。
South Australiaの教育庁に連絡し、
学校の空き状況を確認しました。
返ってきた答えは、
「案内できるのは2026年1月から」。
正直、もっと早く行きたかった。
そこで日本のエージェントに連絡し、
結果的にエージェント経由で話を進めることになります。
今思えば、
エージェントを使わないほうが楽だったかもしれませんが、
当時は「安心をお金で買った」感覚でした。
エージェントと100回以上メールのやりとりしてる履歴が、、、笑
ビザ、犯罪歴証明、初めてだらけの手続き
2025年8月後半に学校からオファーレターが出て、
10月スタートの入学許可ももらいました。
ただ、準備が間に合わず、
最終的には2026年1月入学に変更。
11月にはビザが発行されました。
- 母:ガーディアンビザ
- 子供2人:学生ビザ
犯罪歴証明を取ったのも、人生で初めてでした。
「正解だったか」は、まだ分からない
こうして振り返ると、
オーストラリアを「選んだ」というより、
他の選択肢が少しずつ消えていき、
最後に残ったのがオーストラリアでした。
合理的に考えたつもりでも、
家族、とくに母に大きな負担をかけている自覚はあります。
それでも動いたのは、
「何もしないまま後悔する未来」のほうが怖かったからです。
この判断が正しかったかどうかは、
まだ分かりません。
このブログでは、
決断した側としての迷いや責任、
そしてその後に起きた現実を、
引き続き書いていきます。
関連記事
実際に動き始めてみると、
移住の判断以上に、現実的な壁がいくつも出てきました。
特に学校探しと、その先に続く生活の話は、
想像していたよりずっと重かったです。
→ [学校探しから見えた「海外移住の現実」]
→ [子連れでオーストラリア学生VISAを選んで気づいた、生活面の現実]
この決断のあと、
実際に「後戻りできない」感覚を持つために、
子供たちと一緒にセブで1ヶ月暮らしました。
→ [オーストラリア移住の前に、セブで1ヶ月暮らしてみた話]
移住を決めたあと、
実際に一番消耗したのが家探しでした。
→ [オーストラリアの家探し、想像以上にしんどかった話]
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この記事を書いた人:父